それは喉元をすぎる悪夢か地獄を歩む最中の幻想か

推しのコンサートに馳せ参じました。

推しに会いに行くために海を越える決断力ってすごいな〜〜って他人を見ていたのだけど、推しグルが本国で単コンをやるって聞いた時にものすごく本国のペンを羨ましく思ったのだ。日本でもファンミーティングを終えた後だったし私はそれを全日程参加したわけだけれど、コンサートってやっぱり一線を画して特別なものだと思うので、心の底から行きたいと思ったのだ。

 

先人の皆様へ。

推しに会いに行くために海を越えたい気持ち、こういうことなんですね。

ということで、2022 VERIVERY 1st CONCERT PAGE : Oの2日目に参加してまいりました。

 

 

コンサート終わりの私は常にそうなんだけど何から書けばいいかわからないので、今回の記事も書き殴りです。レポの類はございません、ご容赦ください。

 

初日は配信で見たら2日目の現場参戦までに程度の覚悟ができるだろうと思っていた。そんなことはなかった。

不穏なVCRを経て、ゆっくりと赤い照明を浴びて床からぬらりと立ち上がるように出てくるベリくんを画面越しに見た時から、「これは本気だ」と一旦総毛立った。それは実物を見ても変わらなかった。むしろ直に浴びてしまったので私は心の中で膝を折った。ファンミーティングの可愛い平和なゆるふわベリくんなんぞではなかった。穴の下に落ちて深い闇の中にいる自分達と向き合い続けて、それに勝った後の彼らがいた。今思えば、あれは凱旋だったのかもしれない。自分達に勝って這い上がってきたぞ、という。

その演出を経てから、かつてRoad to Kingdomでやったステージのオマージュを披露するベリくんで本当に誇張なしに私は成仏してしまったのですよ。どうする?誰よりベリくんたちが一番ロキン好きじゃんね。オタク見てる!?!?!(?)

Road to Kingdom2次戦のPHOTOに一本釣りされてベリくんにどハマりしている私にとって、カンミンちゃまの首を弄ぶミンチャンさんと、逃げ出そうとするカンミンちゃまに迫るケヒョンヨンスンの演技を生で見れるなんて思ってなくて、モスキートーンもびっくりの高い声を出して固まるしかできなくなっていた。あのカット絶対にいいカメラ撮られるべきだし映像化してほしい。本当に後生だから。私の原点だから……

 


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ビュエクもロキン最終回の振り付けや構成、音源が使われていて本当によかった。ロキンの亡霊は完全に成仏しました。


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ところでちょっと話が逸れるのだけど、実際に飛行機と宿と席を押さえてからしばらくずっと、私はどうしてベリくんをずっと好きでいられるのだろうと考えていた。いろんなステージを見返しながら、これだけ簡単に海の外へ足を運んでしまえるくらいの原動力を私に持たせる理由はなんなんだろう。私は本当に飽き性なので韓国のアイドルを好きになってから一つのグループを好きでいた期間が1年にも満たないのだけど、ベリくんだけは好きになってからもう3年目に突入している。そんな私が本国のコンサートに足を運ぶまでになった理由をずっと考えていたんだけど結局日本を発つまでに答えは出なくて、数週間かけて考えていた答えが最終的に出たのは、現地で公演を最後まで見届けてから、電車を乗り換えるために歩いている間だった。

ベリくんは、自分達が歩いてきた軌跡に残っているもの全てを大切にしていることが、彼らを見ているだけでも手に取るようにわかるところがある。それが好きなんだと思う。

例えば今回のコンサートにロキンをオマージュした演出を取り入れるのはメンバーたち本人のアイデアらしいけれど、初めての単独コンサートという意味の大きい場でかつてすでに自分達が世間に見せたもののオマージュを取り入れるのって、よほど大事ものではない限りやらないことじゃなかろうか。だって一度世間に広まっているものなわけだし。それを再度取り込んで糧にして作り替えてからまた見せる、そんな時間を単独コンサートという限られた大切な時間の中に設けて、しかもそのために練習時間も割くわけであって、それはきっと大切な思い出に対してする扱いだと思う。

ベリくんがロキンを大切にしているという事実に、私はジンと来てしまったのだ。

私はその当時彼らの言動を追っていたわけじゃないけど、メンバーたちがしんどそうにしているのが目に見えていたらしい。カムバック準備も並行して行っていたからか、弱気な発言もちょっと多かったし、極限状態のような練習室風景を見せられている気がしていた。誰から見てもしんどい番組だと思う。順位をつけられる番組はシステムそのものもしんどければそれに要する労力の量を取っても大変だ。今でこそその類の番組で披露した特別な舞台を直近のイベントで披露するということもままあるけれど、あれから2年経った単コンでやるのとはまた扱いが違うと思う。ベリくんの中であの期間は、今やなくてはならないものになっているのだ。

もちろん、そこに至るまでにたくさんの処理が挟まったはずだ。体力的にも精神的にも。他人から認められないということはとても辛いことだけど、自分が自分を認めてあげられないというのはもっと辛い。それまでやってきた自分を肯定することって、誰よりも自分が一番自分と向き合わなければできないことだと思うので、あれだけ大きな荷物を片付けて自分のものにできてしまったベリくんは、本当に偉い。

それからベリくんの原点はニュージャックスイングなわけだけど、それを一番よく知っているのは別にファンでもなんでもなくて、ベリくん本人だった。

こちら自作曲、振り付けも振付師の先生を交えてメンバーが作ったもので、歌詞にも「ニュージャックスイング」って文言が含まれている。

自分達の原点ジャンルの舞台をたくさん話し合ってたくさん時間をかけて新しく生み出して、こんなに楽しそうに披露してくれること、なかなかないと思う。

ねえ多分私たちが思ってるよりVERIVERYが一番VERIVERYのこと大好きだよ。わかる。私も好きです。VERIVERYってなんでもできちゃってかっこいいしね。

 

永遠を夢見るとしっぺがえしを食らうと思っているから、まあしょうがないって思えるまでの肩入れに止めようとしているんだけど、どうやらうまくいかないかもしれない。かっこよくて可愛くてこんなに愛情深いグループのこと、どうやって好きじゃなくいられるだろう。

一生VERRERでいてよ❗️って言うまではよくあるフレーズだとしても、じゃあ僕たちも一生VERIVERYでいなきゃね〜〜って普通に言ってのけられてしまうのってなかなかない。VERIVERYは自分達の過去も現在も未来も大事にしていて、その隣にVERRERがいるから頑張れるんだよ〜〜って言うんだけど、それだけ言われるとあなたたちが隣にいてくれるから頑張れるので…と鶏が先か卵が先かみたいな屁理屈を捏ねてしまう私でも、お互いを支え合って一緒に歩いていこうね〜〜と言われると涙を浮かべて頷くしかなくなってしまうらしい。雨の日には傘を差してくれて、晴れた夜には綺麗な星を指差して教えてくれるVERIVERYというグループがとても好きだなって、思いました。

 

ロキンPHOTOオマージュイントロを含むTag Tag Tagの音も怖ければ踊っている彼らの表情も人間味を削ぎ落としたような恐ろしさを孕んでいてすごく怖かったんだけど(私は怖いアイドルが大好きなので大いに喜んだんですけど)、その後にすぐSKYDIVEが続いてふんわりゆったりしたベリくんの浮遊感に包まれて夢を見ているような心地になった。楽しそうにサインボールを投げる彼らを見ながら一瞬だけ、どっちが夢なのかわからなくなったのだ。悪い夢を見ていたのか、幸せな夢を見ているのか。

ベリくんが生きる日々において、彼らに訪れるものはなんだろう。

幸せな日々に影を落とす一瞬の絶望か、銃口を突きつけられたまま進む暗い道に差す一瞬の幸福か。わからないし、わかる必要もないんだけど。他人の目線から見る人の感情も感覚も、どうせ他人事の憶測でしかないから。

でもこれだけはわかる気がする。

ベリくんの道はどこまでも長く伸びていて、そこで走り出すのはもちろん自分だし、そのスタートの合図として引き金を引く権利を誰にも奪わせるつもりがないんだなあって。終盤の3連有酸素運動ゾーンを見て思いました。

どんな道でも突き進む覚悟を持っていて、自分の行く先を自分で決める意志の力も持っていて、背中を押してくれる人からの愛情も全部持って背負って、舞台の上で照明を浴びて輝いてくれる人たち、本当に最高にかっこいい。舞台の照明のことを命を焼く灯火だと思っているんだけど*1、それでも彼らは応援してくれる人たちのために覚悟を持って最高の姿を見せてくれるのだ。

彼らのその覚悟の前では、喉元をすぎる悪夢か地獄を歩む最中の幻想かなんて論題も、全部胡蝶の夢でしかないのかもしれない。

自分達に向かう愛を大切にできても、自分達自身のことを認められる人はそんなにいない。

だから、どっちも大事にしていることを傍目からでもわかるくらいに示してくれるベリくんが、私は大好きだ。

 

 

一生一緒にいてくれや、、*2

*1:スポットライトそのものがめっちゃ暑いってのもあるけどその照明を浴びるまでの準備で命を削っている場合がままあるよねって話

*2:明日の飛行機が墜落しませんように

風に乗って届き続ける歓声を

A.B.C-Z 2021 But FanKey Tour10/20夜公演、本ツアーの千秋楽となる公演に参戦しました。

コンサートレポを書けるほどきちんとした記憶はなくて、ただただ溺れそうな感情が渦巻いてしまってどうにもならないので、こうしてキーボードを叩いている。何から書こうかな、と考えながら書いているのだけど、覚書なので許してほしい。

 

A.B.C-Z LOVEという曲がある。ジャニーズには割とよくある(と思う)いわゆるメンバー紹介曲で、彼らはほぼ必ずこの曲をセトリに組む。今回も例外に漏れずその曲を聴いてきたのだけど、他の人たちの歌詞はほとんど変わることはないのに、末っ子の橋本くんを紹介する歌詞だけは毎年一部だけが変わっていく。というのも橋本くんの年齢を歌っているからであり、年を重ねていくごとに歌われる年齢も上がっていくというだけなんだけど。

初めて彼らを知った時、橋本くんは「美声で歌う21(トゥエンティーワン)」と歌われていた。

今日聞いた時、その部分は「美声で歌う28(トゥエンティーエイト)」になっていた。

別になんてことはない、人は当たり前に年をとるのでそこが変わっていくのも当然なんだけど、いつの間に28に…と感慨深くなってしまった。7年。私、7年も彼らのこと好きなんだね。そうかそうか。……そうかあ。みたいな。

 

7年。それだけあれば最初小学1年生だった子は中学1年生になる。当時学生だった私は社会人になった。その間、A.B.C-Zというグループはいろいろなところが変わったと思う。

 

A.B.C-Zは2018年に結成10周年を迎えた。当時四人組だったA.B.Cというジュニアチームにセンターとして橋本くんを迎え入れて、A.B.C-Zと名前を変えて今に至る。アクロバットボーイズクラブという名前を冠している通り、彼らはアクロバティックなパフォーマンスを披露するために作られたグループだったし、そのために持ち曲は激しめのダンスナンバーばかりだった。

「橋本がうちに来てから初めてバラードをもらえるようになった」と誰か*1が言っていた。

私の記憶が正しければ、そう言った彼は今日、今までは橋本くんに任されていた落ちサビのフェイクをとても気持ちよさそうに歌い上げていた。

 

A.B.C-Zのバラードが増えた。今日のコンサートで思ったこと。

何よりも歌唱力の底値が高くなった気がする。歌声が不安定だなと感じていたメンバーも、元々歌のパートが少なかったメンバーも、元々歌のうまかったメンバーも、みんなみんな歌が上手くなっていた。できる歌い方が増えていた。段違いに。A.B.C-Zのコンサートはパフォーマンスを見にいく場所だと思っていたのだけど、今回に関しては歌声を聴かせるセトリが組まれていたように思えた。だって聞き惚れちゃったもん。彼らのコンサートに赴いて、スピーカーの爆音が心臓を叩くよりも、耳から入って体に染み込む歌声で胸がいっぱいになったのは、今回が初めてかもしれない。

 

それから、衣装が変わった。

A.B.C-Zはメンバーそれぞれにメンバーカラーが割り当てられている。彼らはどちらかといえばそれぞれの色を全面に押し出す側のチームなので、衣装はメンバーカラーに則したものが多かった。みんなそれぞれの色がよく似合うのでそれはそれでとても好きだったのだけれど、一方で何処か記号みたいだな、とも思っていた。別に悪いことじゃないと思う。覚えられやすいというメリットがあるので。この人が好きなんです、と紹介した時に、「あああの赤い子ね!」とか、「黄色の人だ!」とか、色と名前を結びつけて覚えてもらえるというのはとても大きなメリットである。知名度の低いチームにとっては。

でもだんだん、衣装の色がメンバーカラーにとらわれなくなってきた。ただのモノクロだったり、メンバーカラーとは関係のないごちゃごちゃのカジュアルスタイルだったり、赤一色だったり。メンバーカラーにとらわれなくなったのって、ひとえに記号化からの脱出なんじゃないかって、ちょっと思うのだ。衣装を考えるときに「メンバーカラーじゃなくてもいいという選択肢」が選べるようになったのは、「その色を着てなくてもいい」という余裕の現れでもあるのかな、って。だんだん個人での仕事も増えてきて、チームの名前も知られるようになってきて、A.B.C-Zの○○です!って言えばわかる人が増えてきた。色でラベル分けしてわかりやすくする必要がなくなったのかな、と思うし、もしそうなんだとしたら、ハマった当初に知らないと言われすぎていまだに好きであることを人に伝えるときに「A.B.C-Zというグループが好きなんですけど、知ってます…?」と確認をとってしまう私は、あまりにも感慨が深い変化だと思う。

 

それから、コンサートでやることも変わった。

バラードが増えたことにつながるかもしれない。でもそもそも、本当に、セトリや舞台の構成そのものから変わっていた。

この転機は比較的はっきりしている(と私は思う)。結成10周年の時のコンサートだ。それまでアリーナでの公演をしていたのが、その年からホールでのコンサートに切り替わった。体を使ったアクロバティックなパフォーマンスをするための大掛かりな仕掛け*2を取り入れるのをやめた。「自分達は先輩方のコンサートで時間をもらったからその恩返し」として自分達のコンサートにジュニアたちをつけていたのを、5人だけで展開するパフォーマンスに変えた。

新しいことに挑戦し続けて出来ることを増やしていくそれまでのスタンスも大好きだったんだけど、そもそもできることの種類を増やしていくことにシフトしたのって結構大きな選択かもしれない、と思う。7年の歳月って短い訳じゃない。いつまでも同じことができる訳じゃない。でもパフォーマンスにこだわってきた彼らが今までのパフォーマンスとは違うことをするのって結構重大な分かれ道だったりするんじゃなかろうか、ともすればアイデンティティにしていたものを変質させるということであるし。勝手な推測ではあるんだけど、そう考えてしまう。

私はその変化を英断だと思う。今までとは違うことをするのって、だいぶ勇気がいることだから。

 

いろんなところが変わったな、と思ったけど、そんな彼らにも変わらないところがあった。

 

A.B.C-Zのペンライト*3は他のジャニーズチームと違うところがある。

一般的なペンライトは基本的に点灯・点滅・数種類のカラバリといったパターンが用意されていて、そのパターンはペンライトの種類ごとに変わる。でもA.B.C-Zのペンライトは、形は変わってもパターンはほぼ変わらない。赤、青、黄、桃、紫、とメンバーカラーが順に点灯して、白、メンバーカラー点滅、振り出しに戻る。多少レパートリーのブレがあれど、A.B.C-Zのメンバーカラーが順に点滅していく仕様は彼らが初めてコンサートツアーをした2013年から今まで絶対に変わらない。きっとこれからも変えるつもりがないんだと思う。

A.B.C-Zのコンサートで好きなところの一つは、そんなペンラを使って彼らと観客がコミュニケーションを取るところにある。

メンバーがソロでパフォーマンスをする時、会場はそのメンバーの色で染まる。メンバーが一人ずつコメントする時も、会場は都度そのメンバーの色に切り替わっていく。会場のペンライトを無線で制御する技術が存在する中、A.B.C-Zのペンライト操作は全て観客の手動である。それだけじゃない。メンバーが音頭を取りながらみんなで一斉に曲に合わせてペンラの色を変えていくコーナーが必ず設けられているし、一旦みんなで消したペンライトの明かりをメンバーの掛け声で順につけていくという演出を選ぶときもある。

「上手くできなくても大丈夫!」「時間かかってもいいですからね〜〜」という優しい言葉付きで。

ちなみにこの公演があった日はメンバーの河合くんの誕生日で、せっかくだから会場を彼のメンバーカラーに染めてから、ロウソクを吹き消す要領で順番に消していこうという提案があった。河合くんがふーーっと息を吹きかけて、順番にペンライトの明かりが消えていって会場は真っ暗に……となるかと思いきや、一番後ろの方の明かりはいつまで経っても消えない。河合くんがどれだけ息を吹いても消えない。全然届いてないからだよ!ってメンバーが茶化しながらやっと消えて、河合くんがなんで消してくれないの!ってぷんすこしていた。いじってくれて嬉しいですけどね、って呟いてたけど。

そんな感じで、ファンとの相互コミュニケーションをとてもとても大事にしてくれている。私が入った公演では出番がなかったけど、今回のペンライトにはいつものメンバーカラーと点灯パターンの他にオレンジと緑が追加されていた。なんぞやと思えば、「Aだと思う人はオレンジに、Bだと思う人は緑にしてください!」という風に、MCで彼らが観客に聞きたいことがあったときに使うためのものだったようだ。確かに彼らのMCは観客によくいろんなことを話しかけている。このご時世、声を出すことが叶わないのを鑑みながらもなおコミュニケーションを取ろうとしてくれる姿勢はずっと変わらない。それがすごく嬉しかった。変わらないでいて欲しいところだと思っている。もはやこれは、祈りに近いかもしれない。

 

A.B.C-Zは、ファンを大事にするチームだ。

今回のツアータイトルを決めた戸塚くんはこんなようなことを語っていた。

「僕たちのスタートは華々しかった訳でもないし道のりも華々しくはなかったけど、それでもここまで来れたのはファンのおかげだ」と。「華々しくなかったかもしれない、But(しかし)FanがKeyなんだよ」と。

その前に出していたシングル「Nothin‘ but Funky」とかけて、そんな思いを込めたタイトルを採用する彼らのセンスが好きだった。車で各地を回っていくように全国を回るツアーであることから、車での出発準備を題材にしたOP映像が作られていたのだけど、ファンがA.B.C-Zを呼ぶ声が聞こえてくる箱を開けると車の鍵が入っていて、呼び声の発生源はそれで、その鍵でエンジンを入れてA.B.C-Zがツアーに出発する…というもので、それを見ただけで泣いてしまいそうになったのだ。開始3分も経ってないのに。本当にどこまでもファンを大事にするグループであることはずっと変わらない。

どの公演を準備するにあたっても、彼らの念頭にあるのは「ファンを楽しませること」である。公演に臨んで心の底から思った。彼らはファンを楽しませるためにステージに立っているし、ファンを楽しませるためにステージに立つことを何よりも楽しんでいる。お互いのセンスと技術と経験を信頼しながら、それを形にしていくことを恐れない。変わったことをいくつか挙げたけど、その根底にあるのは「ファンに楽しんでもらうために」という、絶対に揺るがない意志だと思う。

確かに、A.B.C-Zの曲は今もアップテンポな曲や明るい曲が多い。でもそれは、踊るためにというよりは、彼らの意志を叫ぶためなんじゃないかって思うのだ。5人の声を重ね合わせて、疑うな叩き上げろと叫んだり、君が好きなんだと愛を歌われたり、熱いほど燃え盛る灯になると誓われたり、明日へ向かおうと手を引かれたり。その度に泣きそうになる。全部全部、観客のためだ。舞台を降りようと思ったことが何回もあった話を聞かされている身としては、観客のためにステージに立つことを楽しんでいる彼らを見ると感謝の気持ちで胸がいっぱいになる。

 

A.B.C-Zって、めちゃくちゃ困難を乗り越えてきたチームだ。

自分達のスタンスを変えていくことができるのは、いかなる局面においても彼らがずっと前に進むことを選んできたからだ。その根底にあるのはファンを思う気持ちであって、それは常に変わらないものであって。

そして、常にそれを楽しんでいる。

 

彼らはステージの上で、スポットライトの中で、何を思うのだろう。

青い光の中に踏み出す一歩をそのままダンスステップに変えて歩くように踊り出す彼は。

会場を自分の声でいっぱいにするように、気持ちよさそうに歌い上げる彼は。

声と一緒に音を紡ぐギターを握りしめながら、軽やかに踊る彼は。

自分を跳ね上げるために重ねられた腕を見据えて飛び上がるために足をかける彼は。

最後の最後に、全身全霊を込めた声で、俺たちとみんなでA.B.C-Zと叫ぶ彼は。

 

誕生日なのになんでメール送ってくれないの?と拗ねる河合くんに橋本くんが「来年考えとくよ」って言った。これからもいろんなことして思い出作っていきましょうね、と呟いた。彼らがその口で「これから」を仄めかしてくれることって、「続ける意志」を見せてくれることって、どれだけ救いか。永遠なんてないんだなって、さまざまな折で思わされてきた中で、続けるという選択肢を本人たちが提示してくれることは、その事実だけでもう、十分な光量のある光だ。

ステージに立ち続けてくれてありがとう。

変わらないもののために姿を変えて、風に運ばれるように、ずっとずっと前に進むことを選ぶあなたたちが大好きです。

 

帰り道に空を見上げたら、澄んだ空にぽつんと満月が浮かんでいてまた泣きそうになってしまった。

月が綺麗ですね、今夜空を見上げたら君がいました。嘘じゃなかった。本当に楽しい時間だった。

 

 


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君が好きなんだ!

 

*1:自信ないんだけど多分河合くんかな…

*2:あだ名が物干しハンガーだったり観覧車だったり回し車だったり吊りトランプだったりするやつ

*3:ジャニーズのペンライトはコンサートごとに違うものが作られる。KPOPに足を踏み入れた時に応援棒は基本的に変わらないと聞いてカルチャーショックを受けた

シュレディンガーのアイドル

ミンチャンさんが身体的および心理的な不調のため休養に入り、以降のスケジュールを欠席することが発表されてからそろそろ一週間が経とうとしています。

スケジュールの終わりに投稿される集合写真には6人しか写ってなくて、VLIVEが始まっても映っているのは6人だけで、ヨントンペンサがある日に発表される通話順序にミンチャンさんの名前はなくて。

一週間で慣れるものではなかったです。正直な話をするとずっと寂しい。

まだ元気な時に撮られたのであろう7人揃ったコンテンツを見るたびにちょっと心が痛むし、ミンチャンさんの不在を突きつけられて悲しいのでしっかりと音楽番組やVLIVEを追うのもちょっとやめている。本当はミンチャンさんの不在をカバーして頑張っている6人のことをちゃんと肯定したいんですけど、やっぱり難しいです。

もちろん、事務所もメンバーもミンチャンさん自身も考えつく限りの最善を選んだと思います。その選択肢を取ることができてよかった。今はもうただ、ゆっくり休んでほしいと思うばかりであります。

 

以下、個人の見解です。

 

この手の話をするときに、大きな主語や強すぎる修飾語を使ってしまうのって違うと思うんです。たとえば「私たち」だとか「全員」だとか「事務所」だとか、「絶対」とか「全部」とか。あまりに扱う内容が繊細なのに、つい語調は荒くなってしまいがちなトピックだなって思います。アイドルに限らず、一般論として。

いろいろな人たちのことを見てて思いますが、やっぱり誰が悪いとかそういう話ではないと思うんです。誰を責めるのも違うと思うなあと、公示が出たあたりにぼんやりと思っていました。

心理的な不安症状に科学的な特効薬はありません。医療機関で処方される薬は一時的に症状を緩和して快方に向かうのを補助するためのものであり、症状そのものを治療するためのものではありません。不安症状って、結局は本人がどう物事を捉えそれに対してどう処理するかの過程で、必然的に出てしまう負荷なんだと私は思います。人それぞれ負荷のかかり方も度合いも違うしそれをどうやって処理するべきかもそもそも処理できるものなのかどうかも、人それぞれ。

アイドルっていろんなことに気を遣う職業だし、想像も追いつかないくらいの不特定多数の目にさらされる職業でもあって、結局はただの消費者である私にはその大変さを、成り代わって理解することはできない。というか理解したくないかもしれない。そんな大変な思いをしながら舞台上で輝いてる彼らの姿を、ファンとして消費してしまっているのは紛れも無い事実なので。

だから誰が悪いとかそういう話じゃない。誰を責めても空振りに終わると思います。どんな事情が背景にあったとしても、アーティストの健康と安静を最優先に考えたという公示の言葉が事実として全てである以上、それを見た側としてはその言葉を受け止めるしかできることがないのかな、って。

思えば画面に映る彼らについてわかることってごくわずかなんだと思います。その人個人を理解するには全然足りない。コンテンツなどを通して見ることのできる彼らの姿から視聴者がわかる本当のことってどれくらいあるんでしょう。アイドルってどこまでが現実でファンタジーなのか、画面の向こうから見てるだけの人たちにはその境界線がはっきりと見えない。

確かにチッケムなどでミンチャンさんの体調が芳しくなさそうな様子がちらほらと見受けられてはいたし、遡れば4集の活動の時から踊りきった後ちょっとしんどそうにしている映像もあったりしたので、一度ミンチャンさんが5集活動中に体調不良を訴えてペンサを急遽欠席した日よりも前から、彼の健康状態はおそらく完全に元気とは自信を持って言いきれなかったのかもしれません。

でもこれは憶測です。いつから彼が健康状態に不調を抱えていたのかはわからないし、ましてや心理的な不安症状に関してはいつから始まっていたのか、こちらにはわかりません。その「いつ」を知ろうとするのは不毛な話だと思います。

「いつから」を知ろうとするのが不毛な話なら、個人が望むものを推し量ろうとするのはもっと不毛なんじゃないでしょうか。

いろいろ考えたんですけど全部オタクのエゴだな!と思ってしまって考えるのをやめました。戻ってきてほしいって言うのも待ってるねって言うのも全部全部エゴだな、って。何がきっかけで彼が不安を覚えるようになってしまったかを正確に知らない以上、何を取り除くべきなのかもわからないじゃないですか。もしかしたら踊ることに限界を感じてしまったのかもしれないし、もしかしたら歌うことが難しくなってしまったのかもしれない。動画の編集に対する負担が厳しくなってしまったのかもしれない。「事務所がやらせた」ことへのプレッシャーが重くなってしまったのかもしれないし、「自分が選び取った」ことで収集がつかなくなってしまったのかもしれない。あるいはスケジュールが?対人関係が?思いつく可能性は尽きませんし、全部不正解かもしれない。全部正解かもしれない。私にはわからない。本当のことを知っている人ってどれくらいいるんでしょう。いないかもしれませんね。もしかしたら彼自身にも何が原因で何が対処法なのかちゃんとわかってないかもしれない。

だからこそ、戻ってきてほしいという願いも、待ってるねという祈りも、もしかしたら重荷になっちゃうんじゃないかなって気づいてしまってから何も言えなくなりました。もう私は彼についてなんて言えばいいのかわからない。もしかしたら最善はあっても正解なんてないのかもしれない。結局私なりに考えた最善は何も言わないことという結論になってしまったのでこの記事を書いてる時点で大きな矛盾を起こしているのですが!

 

すべての人が穏やかに優しく生きていける世界であればいいなと思います。これだけたくさんの人間がいれば難しいことではありますが、う〜〜〜〜ん。

うん。

実家に戻って休養中というミンチャンさんが帰ってきた時に、きちんと変わらない居場所があればそれでいいな、と思います。

 

 

推しの話をしたい①

推しの話をしたい。

 

私は好きなものについて長い文章を書くのが得意じゃない。やっぱり根っからのオタクなので好きなものを見たときの語彙がツマミ絞ったんか?ってくらいなくなってしまう。推しを布教するときだって興味を持ってくれた相手にどういうものが好きかどういうところが好きかを聞いた上でコンテンツを紹介するみたいな、処方箋みたいな布教の仕方しかできない。あと単純に人の好みって人それぞれだから自分の推しを必ず好きになってもらえるとも限らないし推しを押し付けるのもな〜〜〜などと考えてしまって推しの布教が下手くそなまま終わってしまうのが常だ。

 

でも推しの話はしたい。

 

せっかくブログという媒体を始めてしまったのでこれを機に推しの紹介をしてみようかなと思う。紹介って言ってもまだまだKPOP初心者でゆるゆるオタクの私がその人のプロフィールみたいなものを作れるわけはなくて、ただ私が好きだと思うところを連ねるだけになってしまうけれど、これを機に誰かが私の推しに興味を持ってもらえたら嬉しいな、と思う。

 

ちなみに、推しの定義って人それぞれだと思うけど、私の中では「一挙手一投足全てに好きだと言ってしまう人」だ。どこがどう好きなのかを細分化しようと思えばできるけどとりあえず好き!と言ってしまう人。というか細分化された感情が来る前に好きと言ってしまう人。なのでこの記事を書くことは私が感じている「好き」を一つ一つ解いていく作業にもなる。「好き」って言葉にすると簡潔だけど要はいわゆるクソデカ感情のことであって、完全にオタクの自分語りになってしまうのでそういうのに興味がない人はどうぞブラウザを閉じた方がいい。私は言いましたよ!

 

というわけで、前置きが長くなってしまったけれど最初の推しを紹介します。

(紹介順=知った順番)

 

1.チャンビン(Stray Kids)

どうしよう、もう何から言えばいいかわからない。(?)

当時ゆるっとBTSとEXOとMAMAMOOに浸かっていた私が、Spotifyでたまたま流れてきたMy paceを聞いてめちゃくちゃいい曲だ!となったのがきっかけでスキズを知った。その直後にMIROHというアルバムでカムバすると聞いた。なんとなくコンテンツを見ながらどれもこれも曲が好きだなあ、と思っていたところだった。

 

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完全に一本釣りされてしまった感覚だった。Stray kidsというグループにも、最初にメンバーを引き連れて階段を降りて来るラッパーたちにも。本当に雷が落ちたみたいな衝撃だった。だってあまりにもかっこいい。もともとジャニーズのオタクだった私はステージで輝くアイドルが心の底から大好きだった。まさにそれだった。ステージに自分自身を全力で叩きつけて来るアイドル。俺たちがやってきました、と自分の技量で高らかに宣言するアイドル。初手から完全にノックアウトさせにくるつもりでラップをしている華奢な彼と青い髪の彼に興味関心全て持っていかれてしまった。すぐ後に先攻の黒いスーツがチャンビン、後攻の白いスーツがハンという名前であることを知り、彼ら2人と真ん中でトロフィーを握っていたリーダー・バンチャンの3人で3RACHAというユニットをデビュー前から組んで自分たち3人の曲を手がけているだけでなくStray kids全体の曲の制作に携わっているということを知った。Soundcloudにアカウントを持ち楽曲の投稿をしていることも知った。

いや、全部かっこいい。

それから取り憑かれたように今までのコンテンツを全部見た。本当に全部見た。みんな魅力的だったけど私の心からはあのラッパーたちが焼き付いて離れなかった。最後までチャンビンとハンのどちらを推しにするか決めかねていた覚えがある。

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そうしてコンテンツを探していくうちに襲ってきた第二の衝撃がこれである。すごくない?高校生でこんなに堂々とラップを披露して相手を煽れることある?パフォーマーとしての器がデビュー前から十分育っていてめちゃくちゃ感心した。本当にすごい。そんな感じで、この二人を中心にコンテンツを追いながらMIROHカムバを迎えた。

どちらが推しになったか、決め手になったのはなんだったか思い出せないけど、たぶん総合的な面でチャンビンが推しになった。当時のツイートをさっくりと見返してもいつのまにかソチャンビンは最高の男と言い始めているので本当に雷が落ちたような決め手はなかったように思える。

彼はものすごい努力家だ。暗いトーンのラップを披露するためにわざと無理して低い声でラップをし続けて喉を傷めたり、一つのラップを書くためにたくさんの単語を調べて長い時間をかけたりする。いつだって鋭敏に思われがちなのが嫌で明るく振る舞うようにしている。自分の悩みをメンバーの誰かに話すことはしないけれど、弟たちの話はよく聞く。自分のことを話す時、曲のことを話す時、チームの誰かに対して何かを言う時、素朴だけど優しい言葉選びで語ってくれる。掲げた目標は有言実行する。チームの誰かを支える時には何も言わないけど、確かなサポートをしてあげる。そういったことを彼は意識して行なっていた。面倒見が良くて、いろいろなことを考えていて、自分が作るものを見てくれ、話はそれからだ、という態度がすごく好きだった。たぶん、確固たる決め手はないけれどコンテンツを追っていくうちにいつの間にか彼が推しになっていたのはそういうことなんだと思う。作品づくりからメンバーとの関わり方から、どこまでも真摯で優しくて真面目な努力家で強い意志を持った彼の人柄に、気がついたら惚れ込んでいた。

私は、天才ではない子が好きだった。こう書くとひどく語弊があるのだけど、この子は天才ではないんだろうな、というのが見える子が好きだった。絶対に努力を積み重ねに積み重ねているのにそれを見せない、努力していることをこちらに意識させない男、それがチャンビンだった。自分が積み上げてきたものに対して確固たる自信をもって、私たちに提供してくれる。こんなにかっこいいことがあるだろうか。

ここまで書いておいてなんなんだけど私はどうしてチャンビンが好きなのかまだきちんと内訳を掴めないでいる。たぶんもうちょっと細分化できるものがある。かっこいいとは思っているけどなんでかっこいいと思っているのかはわからない。ステージの上に立つ姿が燃え尽きそうなくらい輝いているからかもしれないし、普段のおちゃらけて笑っている姿が可愛くて好きなのかもしれないし、チャンビンが届けてくれる言葉全部を丸ごと好きでいるのかもしれない。でも確かに言えるのは、私はチャンビンが表現するものすべて、言葉から歌声からラップまですべてのものでなんだか泣けてしまうのだ。

この曲はもともとデビュー前のサバイバルにおいて3人ずつに分かれたユニット用に作られた曲だったけど、音源として公開されているのは9人版として編曲されたのでそちらにはチャンビンくんの歌声は入っていない。ちなみにGLOWはメロディーと歌詞はほとんどチャンビンくんが手がけたものだったはず。

 これを初めて見た時本当に号泣した。原曲を聴いた時は泣かなかったのに。

なんと彼は覆面歌王にも出ている。ラッパーなのに。ちなみにスキズからはもう一人ハンも覆面歌王に出演している。それほどスキズのラッパーの歌がうまいことを嬉しく思う反面なぜボーカルを出さない、と心の中でツッコミを入れたのはここだけの話。

チャンビンの歌声はどこか心の奥の優しいところをそっとつつくようなところがある気がする。少なくとも私にとってはそうだ。チャンビンの歌声を聞くと本当に誇張なしに泣いてしまうので本当に聴ける場所が限られているのだが、どれもこれも本当に好きなので聞くたびにソチャンビン……好きだ……と馬鹿でかいため息をついている。

 

ボーカルも担うハンとは違ってチャンビンの歌声が入ってる曲は割と稀だ。そんな彼の自作ソロ曲を紹介して終わりたいと思う。

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"Street Light" 은 붐뱁 힙합 트랙 위에 남들에게 말하지 못하고 혼자 아파하고 슬퍼하면서, 아닌척 웃는 사람에 대한 내용을 가로등에 비유하여 가사로 풀어낸 곡입니다. 누군가에게 고민 상담을 하면, 상대방이 다 해결해 줄 순 없지만 털어놓는 것만으로도 한결 마음이 편해지곤 합니다.
사실 저도 이 곡을 쓰기 전에 정말 누구에게도 말 못 하고 혼자 힘들어할 때가 있었는데,가사를 써 내려가고 녹음을 하면서 누군가에게 털어놓은 것 같은 후련함을 느꼈습니다. 이 노래를 듣는 분들도 꼭 같이 아파해줄, 내 얘기를 들어 줄 누군가를 찾으셨으면 좋겠습니다.(Youtube動画コメントより)
[日本語訳 @Straykids_JPN様]
"Streetlight"はブームバップヒップホップトラックに他人に話せず一人で痛み、悲しみながらそうじゃない振りをして笑っている人についての内容を"街灯"に喩えて歌詞で解釈した曲です。誰かにに相談したら、相手が全てを解決してあげることはできませんが打ち明けるだけでも心が楽になります。実は僕もこの曲を書く前に、本当に誰にも話せなくて一人で大変な時があったのですが、歌詞を書いて録音していたら、誰かに打ち明けたようなすっきりした気持ちになりました。この曲を聴く方々も、必ず一緒に悲しんでくれる、自分の話を聞いてくれる誰かを見つけられたらと思います。

 

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チャンビンは、自分の話をしない。メンバーにうるさいと言われるほどたくさん話す子だけど、自分が思っていることをメンバーに打ち明けることは滅多にしない。よくないことだよね、とメンバーから陰口(?)を言われるまでだ。チャンビンが誰かの悩みを聞く時は自分の話をしないようにしている、と自分で言っている。Stray Kidsのメンバーにとって、みんなが自分を頼れるようないい人間でありたい、と。メンバーが彼は正直だ、嘘をつかないという反面、チャンビンは自分のことを感情に対しては正直じゃないと言う。自分が傷つきやすい人間だから、誰かが傷ついてしまうことが世界一嫌いだと。誰かが傷ついてしまうことが本当に嫌だけど、自分が感情に対して正直になってしまったら誰かを傷つけてしまいそうだと。メンバーだって、チャンビンは正直だけど人が傷つくようなことは絶対に言わない、必要のないことは言わない、と言っていた。

Streetlightが出たのは、これが語られた数ヶ月後のことだった。

 

[歌詞日本語訳 @Straykids_JPN様]
街灯の光のように  街灯の光のように
寂しい一日の終わりに  ぼんやりと立ったまま 
孤独な夜の真ん中で  精一杯明るく笑ってみせる
見せたくない 弱くて脆い僕の姿  
僕をたよりにしていた彼らにはこの姿は矛盾
強いフリ 痛くないフリ 何でもないフリ  
ただ誰かの力になりたいのに 
僕のせいで彼らの力を奪ってはいけない 
「頼ってもいい」という言葉に
疑問符をつける勇気がなくて僕は  
痛みは出口のない部屋の中で
 閉じ込められたまま静かに大きくなっていく  
我慢すればするほど鈍くなっていくよ 
まだ耐えられるかな 耐えられるから
傷の上の絆創膏は結局落ちるはず 
急いで付けたけどまた剥がれてしまった
取り残された屋根の上に溜まっていく雨水は 
僕の隙間をどんなによく知っているのか 
繰り返し漏れていく 
誰かが必要だと 全て崩れる前に 
もう一度聞いてくれ 大丈夫かって 
誰でもいいから

 

完全な矛盾だ、と思った。それから、完全な本音だ、とも思った。

教えてくれてありがとうとも簡単には言えないような、チャンビンの心の底を突きつけられた気持ちになって何も言えなかった。実はこれが出た頃にはウジンくんの脱退と8人での活動をきっかけにStray Kidsから離れていたのだけれど、こんな本当に根っこの気持ちを、心の底から揺さぶりに来るようなダイナミックなピアノに載せて歌うチャンビンのことを嫌いになることができなかった。そもそもStray kidsのことを嫌いになることなんてできなかったけれど。こんな生々しいSOSを誰にも言わずに、ただ歌詞を書いて録音することで消化してしまうチャンビンという人間が、どうしようもなく好きだ。この好きを紐解くことはたぶん私にはできない。あえて別の名前をつけるなら多分、憧れとか尊敬とかそういう類のものになる気がする。

これがアップロードされてすぐのインスタの投稿で、チャンビンは「豚ウサギ*1はSTAYがいるから笑うことができます。僕もSTAYにとってそんな人でありたいです。We are not alone」と言っていた。彼はステージで輝く最強のパフォーマーであるだけじゃない。どこまでも優しくてどこまでも真摯な人だ。

そんなStray Kidsのチャンビンというラッパーが、私の推しです。

*1:チャンビンの自称。誰かからの悪口をなぜか彼は気に入って自称にしている

地獄を歩く話が美談になるとき

私はサバイバル番組がとんと苦手である。

できる限りサバイバルと謳われている番組は避けてここまできた。理由は自分の共感性の高さをめちゃめちゃに理解してしまっているからだ。ただでさえ日頃共感疲労とかそういうやつで苦労している方なのでサバイバルなんか見たら耐えきれないな、とわかっている。特にデビューを目標としたサバイバルは、一度推しを作ってしまったら絶対に情緒をぶん回されることがわかっているのでとてもリアタイなんてできない。

 

そんな私が、先日World Klassを完走した。

特に推しが出ている訳でもないのにRoad to Kingdomをリアタイで追っていた私は放送期間中Golden childにハマり、放送終了間際にVERIVERYにはまり、その流れでTOOにも興味を持ったのがきっかけである。

本当は出来れば見たくなかった。怖かったので。

World Klassをリアタイで追っていた友人がいたのでいくつかパフォーマンスビデオだけは見てたのと、デビュー決定あたりで何があったかはなんとなく小耳に挟んでいた。その友人は今は別のグループを推しているし、私もWKを見たことで今のTOOを素直に推せなくなったら嫌だなと思っていた。が、意を決して見た。TOOを知る上で必要不可欠だと思ったから。

結果として、私が放送を通して応援したいと思った5人ほどのうち、最終的にデビューしたのは1人だけだった。本当にリアタイしなくてよかったなという感想が残った。

 

サバイバルを美談にしていいのは出演した本人だけだ。

ある人が言っていた。私もそうだと思う。心の底から。

WKにて、とあるミッションが終わったあとに「練習生20人の美しい競争と挑戦は続きます」というテロップがつけられた。たくさんのミッション不通過者を出したミッションだった。すごく嫌だなあと思ったのを覚えている。

本人たちの血と汗と涙の結晶を、ただ「美しい」という言葉で片付けられるのが嫌だったんだと思う。人間が目標に向かって頑張る姿は確かに美しい。でも、ただでさえアイドルとは険しい道のりであるのに、そこに番組としての娯楽性を求めるのはその道に人々の関心という画鋲を振りまくようなもんなんじゃないかとも思ったりする。それでも必死に走り続ける彼らの姿が、他人である編集者による「美しい」という一言で括られてしまうのは、なんだか違うような気がした。なんて形容されれば私は満足するのかわからないけど、そんな簡単なものじゃないよね、と思う。簡単にラベルを貼られて消費していいものじゃないと思っている私が心のどこかで抵抗しているのかもしれない。

 

サバイバルである以上、もっと言えば全員がデビューできる訳ではないと宣言された以上、脱落者が存在する。WKでは20人だった練習生が18人になり、最終的にデビューしたのは10人だった。私は最終的に誰がデビューしたかを知った上でWKを見ていたからある種の覚悟はしていたけれど、それでも脱落した人が出た時、選ばれなかった人たちが舞台の端に集まっていた時は胸が傷んだ。さっきも書いた通り、応援したいと思った子の大半は最終話で舞台の真ん中に行けなかった。それでも今のTOOを応援しているのは、まあ正直に言ってしまえば一推しだった子がTOOになれたというのもあるんだけれど、彼らがずっと20人だった時のことを大事にしているからだ。20人で踊った曲のことを「どうやって忘れられるんだよ」って言ったり、20人の写真を今でも宿舎の壁に貼っていたり。TOOになれなかった子達だって、各自のSNSで20人だった頃のことを思い出しては私たちに見せてくれる。本当に大事な時間と思い出なのだろうなと思う。なんというか、踏み台にした・されたという感じがしないのだ。もちろんこれはサバイバルに疎い私の主観だし同意しない人もいると思うけど、やっぱりサバイバルって順位がついて評価される以上は踏み台という印象がついてまわってしまうものだと思う。私がサバイバルを見ることのできない理由の一つがそれだ。でもWKは絶対評価で基本的に協力して取り組むミッションばかりだったことも手伝って、みんなで一緒に乗り越えようという気持ちが前面に押し出されていた。だから私はとても穏やかな気持ちで(少なくともRTKよりは穏やかな気持ちで!)完走することができた。し、TOOのことも残りの10人のことも応援しようと思った。WK視聴後にインスタのフォロー数を一気に増やした。いずれ彼らがアカウントを消して夢を成就させることができることを祈りながら。

 

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思い出の上で綺麗に咲く花だな、と思う。絶対に忘れないでほしい。ずっと綺麗な思い出であってほしい。

 

 

デビューのためのサバイバルを経て結成され、デビュー活動と並行しながらRTKに出演し、3次戦で敗退した直後にカムバックを宣言してつい先日その活動を終えたTOO。スケジュールとそこに詰め込まれた努力量を考えるだけでも気が遠くなりそうだ。私は夢を追いかけて走り続ける人みんなに幸せになってほしいと思うけれど、ことに彼らが詰め込んだ努力への報いが、彼らにとって大事な宝物として降り注いでほしいなと願ってやまない。

World Klassになろう、TOO。